2010年10月18日月曜日

グレン・グールド

グレン グールド


演奏において大事なのは「音楽との接触」そのものであり、公開の場でそれを行うことではない。

芸術とは人の内なる燃焼を起こしてこそ意義が認められるのであって、芸術の目的はアドレナリンの瞬間的な分泌にあるのではなく、驚きと落ち着きの状態を、ゆっくりと一生涯をかけて構築していくことにある。個人がじっくりと考えながらそれぞれの神性を想像するという課題に目覚めつつある。瞬間的なものは壊れやすく、熟成したものは壊れにくい。

拍手禁止計画:聴衆が拍手なしの演奏会に満足し、今後も拍手なしの演奏会を受け入れ、新しいない症的な聴取を求める態度が演奏会メディアに定着していくかどうかを試した。

美的ナルシズム:感動は聞き手が自分の内面で反芻するものである。
しかし、演奏会にあっては伝えたいというコミュニケーションの欲求が美的ナルシズム探究の欲求を上回ってしまう。よって、浅はかな感動しかえられていない。

マクルーハンとの接触も面白い。電子メディアとその未来の可能性。

日常会話の「クリシェ」の洪水に触れても私達の言語感覚は鈍るどころか、むしろ研ぎ澄まされる。音楽も同じだ。・・・とグールドは考える。 無意識的にも触れ合いを多数持つことで新たな構想の可能性が生み出される。そういった意味で、演奏会はどうか?その演奏会が「互いの期待」に基づいているならば、新たな構想の可能性は小さくなろう。

芸術文学は日常会話に属し、音楽芸術は編成された驚きに属する。

音楽の環境化―生活への浸透―を果たし、それを「背景」に創作という「前景」もなされる。前景と背景の関係とそこに参加する人々に注目して新時代の芸術行為のあり方を展望しているとこに特色がある。

詰まるところ、グールドが電子メディア時代の音楽界の「諸相」を詳述した果てに強調したのは、「聴き手」の問題であり、その意識の変化・向上である。
これは音楽に限らない。全ての分野において聴き手の問題は存在する


新種の聞き手によって、聴衆の全てが芸術家となり生活と芸術の区別が消えるのであって、芸術行為は専門の職業としての意義を失う。 演奏家の無必要性。

恐らく我々は、自身が想像している以上に遥かに多くの情報を取り入れる能力を持っていると思われる。

聴き手は絶えず変化・交替していく前景・背景双方の音楽的プロセスを自在に体験しながら、その一瞬一瞬に響くすべてを無意識のうちにも「感受」していく。「よい聴き手」とは、聴取の能動性と受動性、意識と無意識、前景と背景の区別を超えたところで聴覚を発揮する、いわばプロセスの有能な体験者である。

グールドは音楽の演奏家であるよりも、編集を行いパースベクティヴを操る音響の演出家として創造的営為を深めていた。

「あるレコードに対して寄せる最大の賛辞とは、制作過程や制作者のしるし、即ち痕跡が完成品に全く残っていないと認めることだ」

美的なコミュニケーションにフィードバックが伴うと想像し、それが双方向的で円環的な関係を成立させるように感じるのは、送り出した芸術作品が無事に受け手に伝達され、その芸術的価値が適切に理解・共有されているはずだという送り手側の願望や信念が、送り手側の意識の内面で短絡し、自己肯定の擬似的なフィードバックを生じしめているからではないか。

ゴルドベルク変奏曲:情緒の移ろい、集中力の傾注と緩和、身体的な持久力と疲労感といったあらゆる生理的要素が絡み合い、線的に継起し、音楽に反映されている。

鍵盤と指の触感:即時性と透明感を兼ね備えた音を評価すると同時に、「触感」に沈溺することに警戒を示した。

グールドのバッハ観:禁欲主義への共感。享楽を求める周囲に迎合せず、禁欲的に自分の信念を貫く態度という意味でバッハを尊敬していた。

グールドが好んだのは、両極的な二項対立にある「劇的な構造」の音楽ではなく、「劇的」要素の欠如した単一原理に基づく一元的な音楽であった。


グールドの演奏の多くには、聴き手の官能に直接訴える、循環的で反復的な、うねるような律動間が備わっている。 ジャズに通じる何かがそこに感じ取れ得る。 勿論、グールドのそれは内省的反省の下に生み出されている。

全てのフレーズがスタッカートであるとレガートであるとに関わらず、直線的ではなくはっきりと曲線を描き、単なる表現意欲や気分が変わったという次元ではなく、実際に演奏を組み立てていく個々の音型やリズム型といった基本的なイディオムの実際的な扱い方、つまり演奏スタイルそのものに変化が生じている。

「道に遊ぶ」:ただ指を早く動かすことの喜びから、いっそう入念なアーティキュレーションや微弱な強弱を「精神の拡張」としての指先で探り、確かめ、楽しむ傾向が高まったように思われる。
ここで注意するのは、あくまでも内省的な思考の中で生まれた感性を対象としている。

共通のパルスの永続:曲を録音するに際し、一曲が終了すると、次の曲を弾く時、全曲の終わりをプレイバックさせ、そこから録音を始める。こうすることで、完成した全曲から共通のパルスを抽出できる。

北としてのカナダ:比較的米国との文化交流や情報交流がある国境付近の暮らしろ、その背後にある―厳しい自然・畏怖の念・敬遠するべき存在―「批評家の国」カナダのアイデンティティをグールドは持ち出して、「内面の活動」の重要性を訴えたかった。

グールドにとって「想像力」とは、ネガティブなものでもポジティブな営為でもない。この両者を捉えて創造性を発揮する人間の主体的な精神活動の一部であるということが読み取れる。
「皆さんは、システムやドグマという、ポジティブな営為のための訓練を受けてきましたが、想像力に出来るのは、それを前景としさらに莫大な可能性というネガティブなものを広漠たる背景として、これらの間の緩衝地帯として役立つことです。この広漠たる背景とは絶えず検証するべきものであり、あらゆる創造的発想をもたらす源泉として敬意を示すことを忘れてはいけない場所なのです。」

0 件のコメント:

コメントを投稿