2010年10月18日月曜日

チェゲバラ プレイバック

チェゲバラ

ゲバラは共産主義的なモラルを欠いた社会主義経済には興味がない。自分達の戦いは貧困との闘いに留まるものではなく、疎外との戦いでもある。労働は集団的で精神的な動機で組織されるべきだと考えた。

「新しい社会」:競争原理ではない。友愛に満ちた態度を生み出す意識の変化が人間の内部で起こるはずだとゲバラは主張する。

国軍の解体:われわれは、ある国が先駆けて国軍を解体するというのは暴論であると考える。なぜなら、国軍解体により、平和・安全が脅かされるからだ。しかし、そもそも、国軍という武力集団を持つこと自体が外の者に対する敵対意識の表れにほかならない。

ゲバラは流血の闘争を好む暴力至上主義の立場から武装ゲリラを志したわけではない。

重層的な民族構造を有するラテンアメリカに生まれたゲバラは、複数の文化/複数の社会のあり方に豊かさを認めるよりも、マルクス主義理論の全体性を武器に、総体を単一の色に塗りこめる方向への傾斜が著しいのかもしれない。

コンゴで革命を起こそうとしたが、自身がキューバ革命を成功に導いたと思っていた方策が通じなかった。他国の地形・民族文化を無視して、定式として適用したのがダメだった。

小さな国一つでは帝国主義の暴力に対抗できない。ゲバラは帝国主義に対する抵抗のための国際的な連帯・連携の仕方がどうあるべきかというところで、国際主義路線(国境を越えた解放運動により、国家意識を解体し、統一的な価値を共有する)を展開した。

左翼革命・革命思想には、定式化できることはない。その地域独自の歴史と現実に根ざしたものがある。

ケネディとカストロの関係は興味深い。

シモーヌ・ヴェーユ:干渉戦争と戦うロシア革命の戦士達の防衛戦争を称賛しながら、革命家はこの戦争のおかげで「帝政の将校達を幹部とする赤軍の庶民への圧力や、反革命派たちの政策よりも、いっそう厳しい官僚政治組織を築かなければならなかった。」


自分の目的はこれと決めてあるからといってそれを貫き通すのではなく、自分の意思に見合う別の可能性に直面した時には、それをあっという間に消化して自然の選択としてすすんでいくあり方が理想。

「テロリスト」と名づければ、数万人を殺す戦争が多くの人々の反対と批判を黙殺して進行している。日本もその一員だ。その一方、大国に最も虐められている小国が、周辺の最貧国に対する支援をひっそり行おうとしている。

キューバは、2016年までに革命軍の解体・軍備の廃止をおこなう。常備軍は姿を消すだろう。 各国が見習うべき態度をカストロは表明した。
人間が人間の敵であることを前提とする資本主義社会においてはもちろん、それを排したはずの社会主義においてさえ廃絶できなかった戦争の本質に鑑み、われわれは自らが築きつつある新しい社会モラルに即してこの方針を定めた。

パルガス=リョザ:ひとは属している立場によって、「社会主義」からうけとる者が違うと述べる。言論の自由が最も大事な知識人と、社会的秩序が平等を原則に打ち立てていると考える大衆。表現の自由を保障しながら、経済的な平等主義は貫けない。

メキシコのサパティスタ民族解放軍:兵士なく軍隊無く戦争のない未来を目指す反帝政集団。 彼らの理論とゲバラの理論は通じる者がある。

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