ソシュール
言語の起源は擬音語・擬声語であろう。
地球のどの場所にも、一つの言語状態があり、それが週ごと、月ごと、世紀ごとにゆっくり変化している。
通時
ラング < 連辞
ランガージュ < 共時・・・体系<
パロール | 連合
| シニフィエ
辞項・・・シーニェ<
シニフィアン
月並みなラングの組み合わせがパロールの中で変調をきたし、そこから詩の様な新しい意味が生じてきて、あれこれ試みられたあげく、忘れられたり珍重されたり、ついには自然沙汰によって存続し続けたものがラングに登録されていく。
通時:時間軸に沿ったとらえかた 共時:同時代的な捉え方
体系の中にあるエレメントのことを辞項(テルム)とよぶ。 テルムは相互依存の状態にあり、関係こそがその存在を成立させている。
ラングの中の新語:モザイクのように付加されたり削除されたりするのではなく、常に体系の組み換えとして表される。
不定形な思考にも音声にも、言語記号によって始めて明確な形が生じる。
シニフィエはシニフィアンほど確固としたエレメントは取り出せない。
記号素:ぎりぎりのところで記号とされるもの、記号の最小単位で表されうるもの。
メルロ・ポンティ:フッサールの超越論的主体性を受け入れない。超越であることが、観念論の元凶そのものであると述べている。
私たちの思考や行動は当人の使う言語体系によって左右される。物事の意味を決定するのは近代的主体としての個人の意志や努力ではなく、その所属する社会・時代による。
フーコー:文化圏や時代が作り上げる独自の認識構造を「エピステーメー」とよぶ。個人のものの見方、選択は、すべて時代や社会から強制される意識化のシステム=構造によって大きく規定されているのであり、実存主義者たちが自由な自己決定と考えているものの多くは、実は、かなり表層的な行為に他ならない。
ラカン:鏡像段階…他者からの様々な働きかけを通して他者から自己へと一種の歴史粗描がもたらされ、以後、個々人の捉えどころのなかった無意識のうちに、過去と未来とが刻み込まれていくような構造契機でもあろう。
ラカンのシニフィアン(事物・現象の定格)の連鎖。
キュビズム:対象を様々な様相に解体して表現するから換愈的。
シュルレアリスム:対象を変容させることによって表現するから隠喩的。
前者は「一杯飲んでく?」 後者は「男はみんな狼」
バルト:坂は作品の隅々までを支配するものではなく、作品の意味もまた一元的なものではありえない。読者の読みに触発され、そこに意味を生成させるのではないか。作品の一人歩き(表象芸術とおなじ)。
コノテーション:シニフィアンのもととなる「シーニェ」
メタ言語:シニフィエのもととなる「シーニェ」
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