2010年9月29日水曜日

たまたま

たまたま

確率を支配する原理や概念の発達について、政治、ビジネス、医療、スポーツといった人間の営みの中でそれたどのように関わっているか。われわれがランダムネスや不確かさを前にしたときの選択の仕方や、われわれを誤った判断、不幸な決断へと仕向けるプロセスについて述べる。

偶然が関係する状況を人間が分析する時に使う神経系のメカニズムは、進化的要素、脳構造、個人的経験、知識、情動の複雑な産物。

技術は平均的に徐々に上昇する傾向を示すが、時折プラスに振れたりマイナスに振れたりする。これをもって好調・不調とするのはいかがなものか。
(多くの人間がしかることで人が成長すると感じているのも、マイナスに振れたときに当人をしかっているからであることが多い。)

ランシング:フォレストガンプ、タイタニックなどを成功に導いた敏腕マネージャ。しかし、数年の業績不調が鯨飲で自ら退陣の意志を固める。皮肉にも、彼女の退陣後に彼女が仕掛けた映画がヒットすることになるのだが。

確率を使う際に十分な注意が払われないなら、それは人を欺くものになりかねない。幾何学においてもそうである。

可用性バイアス:過去を構築する際、最も生き生きした記憶、それゆえ最も回想しやすい記憶に保証の無い重要性を授けてしまう。

ファイマン:ある理論を真に理解する唯一の方法は、それを自分で導き出すこと。

三つの扉のうしろに1万ドルが隠されている。後の二つははずれ。いま、私が扉を一つ選択し、MCが二つの扉のうち一つをあける。ここで、私は選択した扉を変えることが出来る。このとき、選択を変えるほうが100万円を獲得する確率が上がる、なぜ?
私が最初に選んだ確立は1/3 残りの二つに100万円がある確立は2/3 そのうちの一つをMCはあけて見せてくれているから、単純に1/2となるはず…しかし、答えは2/3である。なぜなら、母集団として2/3の郡の確率は変わらない(郡の扉は一つしか残されていないのだから)


<夫が浮気している場合に>夫がこそこそする確率と、<夫がこそこそしている場合に>夫が浮気している確率は違う。
ベイズ理論:テーブルから二つのボールを転がす。一つ目が停止したポイントと二つ目が停止したポイントから、確率を議論していく。ベイズは一つ目のボールの位置を二つ目のボールの位置データから一つ目のボールがそこで止まる確率を決定していく。

いつだって失業率は0.1%動く。5%から4.9%に下がったとして、失業率が改善したと言い切れない。(メディアはこぞって誇張に報道するものだ。)

カント:ひとは、しばしば他人と対立してでも、自分自身の気持ちに従って自分自身の目的を追う。わかっていればほとんど重んじるコトの無いような目的でも、誰もがそれを促進するように作用する。

ほとんどの分野において大いなる成功者になるには少なくとも10年の勤勉、訓練、奮闘が必要。10年も続けていれば、チャンスがめぐってくる可能性は十分に高くなる。

不確かさを前にしたとき、データの中のパターンを評価し判断を下すためにわれわれが使う多くの簡便手法⇒ヒューリスティクス

何かをコントロールしていると感じようとする心理的欲求により、ランダムな事象の正確な認識が阻害されることはしばしばある。

確証バイアス:自分の先入観を裏付ける証拠を優先的に探し求めるだけでなく、曖昧な証拠を自身の考えに有利になるように解釈する。

小数点以下3桁の数字(0.263)で平均値を出す場合と6桁の数字(0.263541)で平均値をだす場合とでは、後々算出される平均の値が異なってくる。小さな変化でも大きな変化を生み出す…バタフライ効果。

小さな要素が集まると特段強みの無い会社が競争相手を凌ぐようになる。偶然の出会い、偶然の取引、偶然のわかれがとんでもないも結果をもたらしうる。

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