2010年9月23日木曜日

アダムスミス

アダム・スミス

道徳感情論
社会秩序の形成:喜び、怒り、悲しみなど様々な感情が作用しあうことによって形成される。

称賛と非難は偶然によって支配される:意図した結果ではなくとも、他人に有益なものを提供すれば称賛される。 称賛と非難は不規則性をもつ。

いくら善意があっても、他人に有益な結果をもたらさなければ称賛されないことから、我々は最善の努力をする。また、意図してない結果が、他人に害をもたらすと非難されることから、我々は過失を犯さないように注意する。

賢人:胸中の公平な観察者の判断に従う人
弱い人:世間の評価を気にする人
人間は双方の特質を備えているものである。

一般的諸法則:他人との交際、及びそれを経ての、非難への恐怖と称賛への願望という感情によって形成される。
最初の判断・直感的な判断は一般的諸法則に従う。

社会を支える土台は正義であり慈恵ではない:社会の構成員が、他人の利益を増進しようとしなくとも、他人の生命・身体・財産・名誉を傷つけないことを守れば社会は存続する。

虚栄:自分の本当の値打ち、すなわち公平の観察者が与える価値よりも高い評価を世間に求めること。 この野心があって経済は成長するともいえる。

我々は自分の中にある虚栄心を完全に拭い去ることは出来ない。徳への道の重要性を認めつつ、財産の道を進むことを優先させる。 問題はその程度。

成功と昇進とは理解力があり豊富な知識を持った同等者たちの評価にではなく、無知高慢で自惚れの強い上位者達のきまぐれでばかげた好意に依存する。へつらいと偽りが長所や能力に勝る。

賢明さには社会の秩序を、弱さには社会の繁栄をもたらす役割がある。

趣味の対象になるものにたいする社会的な評価の基準(文化)は社会と時代に応じて変化する。(慣習と流行の諸原理が、我々の判断力を最も大きくゆがめるのは、性格と行為の一般的様式についてではなく、特定の慣行に関する適切性と不適切性についてである。)
一般的道徳(正義・人権)は文化とは異なる。

慣行的同感:愛着。話の合う・気の合う隣人の幸せを願うのは人間として当たり前。
全ての理性的で感受性のある存在の普遍的な幸福の世話をすることは神の仕事であり人間の仕事ではない。

国際法―独立諸国家が相互の取り扱いにおいて守る義務があると考えていると公言し装うルール―の尊重は、実際のところ単なる偽装と公言にすぎない。この国際法の原理は祖国への愛という高貴な原理の上に築かれている。 そもそも、そのようなルールを作らないほうが上手くやっていけるかもしれない。

国富論
底辺の階級の人達の生活の底上げこそ、人間が目指すべきところ。

国民的偏見にとらわれた政治家や国民は、他国の発展を妨げることをもくろみ、不正を起こし、戦争を勃起しかねない。

自然価格:賃金・利潤・地代により構成される価格。産業の成長による競争を経て、自然価格は適正価格へと落ち着く。

重商主義政策:貨幣を富とすることの上に築かれた製作であり、称賛されるものを称賛に値するものと錯覚する「弱い人」の経済政策。貨幣は物の価値の並列化を生み出した。

理論的には資本は、農業→製造業→外国貿易の順に投資されるはずである。これはまた、投資の安全性の順でもある。しかし、中世以降のヨーロッパではこのように事は進まなかった。

都市の繁栄による農村の発達…外国貿易で潤うようになってくると、様々な物が農村へと流れてくるようになる。その過程で、貿易→製造業→農業という逆の資本の流れが生まれてきた。

先の逆の流れに合わせ、政府は貿易重視の政策を採るようになる。しかし、貿易における関税等で他国を締め出す行為は、両国の間に不協和音を生み出す。
物事の自然ななりゆきに従えば、市場は参加する人々の相互の同感及び相互の正義感に基づいて成立するはずである…が、実際は不正なエゴが生まれるのが人間の性。

徐々に物事を進めることの大切さ:急に政策を変更すると、それまで甘い汁を吸っていた者達の暴動が置きかねない。平静をもってことを進めるのが大切。

十分にアメリカとイギリスの経済・人口等を研究した結果、スミスはアメリカの経済成長を見越し、将来はイギリス本国以上の力を持つようになると考えたゆえ、イギリスはアメリカを植民地から解放すべきであると考えた。しかし、イギリスはアメリカを植民地ならしめるべく武力行使を続けた。

人間の心は繁栄の中にあっては、一定の時間の後に平静な状態に落ち着くし、逆境にあっても、一定の時間の後に平静な状態に回復する。

人間生活の不幸と混乱の原因:過度な評価…貪欲は貧困と富裕の違いを、野心は私的地位と公的地位の違いを、虚栄は無名と名声の違いを過大評価する。人間の快楽において最も重要なものは、友人・家族・適度な趣味と娯楽である。これは何も富を得なくても手に入れることが出来る。(道徳感情論)
富や地位、名誉は手身近にある幸福の手段を犠牲にしてまでも追求される価値はない。社会的成功の大志を抱きつつも、自分の心の平静にとって本当は何があればたりるのかを心の奥底で知っていなければならない。

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